冤罪
本来、私は、政治家の発言について重箱の隅をつつくようなことをするのは好きではありません。しかし、今回は書きます。
鳩山法務大臣は、全国の高検・地検のトップを集め、そこで「志布志事件」の無罪判決に言及して、「冤罪と呼ぶべきでないと思う」と訓示しました。さらに後日、自民党の会合で、自らの発言につき「検察が日ごろ言っていることをしゃべっただけだ」と、「釈明」したのです。
志布志事件とは、2003年の鹿児島県議選で、ある候補者の陣営が、住民11名に焼酎や現金191万円を配ったとして、候補者やその家族、現金を受け取ったとされた住民らが公職選挙法違反容疑で逮捕された事件です。そこでは警察が、ウソの自白を強要し、虚偽の事実をデッチ上げ、「踏み字」と呼ばれる違法な取り調べを行い、ぬれぎぬを着せられた人々を数ヶ月から1年以上も勾留しました。十分な証拠に基づかずに捜査がなされ、存在しない事件が捏造され、無関係の人が犯人扱いされた、典型的な冤罪事件といえるでしょう。
ところが、鳩山法務大臣は、独自の見解に立ち、裁判で有罪が確定したのちに無実であることが発覚した場合のみを「冤罪」と呼ぶべきであると考えるようです。現代の裁判のタテマエでは、有罪判決を受けるまでは無罪の推定が働くので、最終的に裁判で有罪にならなかった場合には、それまでにどんな捜査をしていても冤罪ではないと勘違いしているのかもしれません。
しかし実際のところは、逮捕に至れば、人権を制限された状態で取調べを受け、起訴されれば起訴されたで、拘禁状態が続く場合が多いのです。結果的に無罪判決が出たとしても、ぬれぎぬを着せられた方々の人生が滅茶苦茶になることに変わりありません。そして、今回の鳩山大臣発言は、「冤罪ではなかった」だから「検察は積極的に活動しろ」という文脈で語られているのです。単なる言葉の定義の問題で片付けられないものがあります。
今回の発言を受け、次の二つのことがなされなければなりません。第一に、検察官の集まりをもう一度開き、前回の会同に参加した検察官全てに、発言が誤りであったこと、そして訓示内容を撤回した旨を伝えることです。大臣の暴言は、検察のトップに対する訓示の中で飛び出したのですから、「志布志事件は冤罪と呼ぶような深刻な問題ではないのだから、もっと積極的に捜査活動をしろ」という誤った命令を発したようなものです。正式な形でこれを撤回させることが最低限必要です。
第二は、検察において志布志事件の教訓が活かされているのかどうか、事実関係を徹底的に調査することです。本当に「志布志事件は冤罪でない」と検察が常日ごろ言っているのであれば、それ自体大変な問題です。直ちに、誤った認識・体質を改めてもらわなければなりません。また、不見識な発言を耳にして法務大臣が、直ちにそれをたしなめるのではなく、かえって無責任に訓示として垂れ流したのであるとすれば、それは辞任に値することだと思います。
「無実の人を逮捕拘留しても良心の呵責すらない」、そんな検察官が鳩山法務大臣の下で増殖することのないよう、国会で徹底的に追及していきたいと思います。
