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2008/12/08 14:53

くじら(メルマガから転載)

 今から30年ほど前、食べ盛りの小学生の私の好きな給食メニューの一つに鯨のケチャップ煮がありました。あの独特の食感を懐かしく感じることもありますが、最近では、なかなか鯨肉を口にする機会もないものです。というわけで、今回は、わが国が(以前と比べれば)細々と行っている捕鯨について考えてみたいと思います。


 現在、通常の商業捕鯨は全面的に禁止されており、例外的に調査などを理由とした捕鯨が認められています。日本が行っているのはこの調査捕鯨で、「調査のため」という名目で1年に千頭程度の鯨を捕獲してきました。そして調査が済んだ肉は「捕獲調査副産物」として流通し食卓に並ぶ、これが今のわが国の捕鯨の姿なのです。

 このような形で「調査」捕鯨を行うわが国に対して、海外のメディアからの風当たりは想像以上に強いです。単にかわいそうというだけではなく、日本の捕鯨は「調査」の範囲を逸脱しているというのが主たる批判です。また一部の反対派が調査船に対し過激な抗議行動とっていることは、国内の報道などでもご存知だと思います。

 海外からの批判に接し、なぜ日本ばかりが槍玉にあがるのかと理不尽に思う方も多いのではないでしょうか。「捕鯨は日本の伝統だ」、「そもそも乱獲してきたのは欧米だ」など、さまざまな意見もあろうかと思います。これらの論に一理あるのはたしかですが、しかし国際法的に見るとそう簡単に割り切れない問題があるのです。


 ことの起こりは1982年のIWC、そこで1986年以降の商業捕鯨を全面停止することが決まりました。もっとも、参加国は条約に対して異議申し立てをしさえすれば、商業捕鯨を行うことが可能になっていました。そして、捕鯨国日本は、当然に異議申し立てをしていたので、大威張りで商業捕鯨を行える立場にありました。

 ところがアメリカから「商業捕鯨を続けるなら米近海でスケトウダラ漁を認めない」と圧力がかかりました。当時、スケトウダラの漁獲高が鯨のそれよりも圧倒的に多かったので、日本は泣く泣く捕鯨を切り捨てました。そして、(単に捕鯨を自粛するという方法もあったのに)なんと異議申し立てまでも撤回してしまったのです。

 関係者は、「捕鯨はともかく、スケトウダラ漁だけはなんとか守ることができた」と安堵したことでしょう。ところが数年後アメリカは、理由をつけて日本を米近海でのスケトウダラ漁からも締め出してしまったのです。すでに異議申し立てを撤回していた日本は、結局、商業捕鯨とスケトウダラ漁の両方を失うことになりました。


 その後わが国は、商業捕鯨まがいの調査捕鯨を行い世界中の非難を集めるという道を選び、現在に至ります。外交上のミスというものは、それがたとえ小さな事であったとしても、大きなツケを将来に残してしまいます。政権をとったときには同様の過ちを犯さぬよう、今後もしっかりと過去の事例を勉強していきたいと思います。

2008/09/05 12:44

失政隠し

 今週、福田首相が突如辞意を表明しました。8月に自らの手で内閣改造を行い「安心実現内閣」と名づけた1ヵ月後のことです。なかなか決められなかった国会の召集日も、ようやく9月12日ということで落ち着き、本格的な国会での論戦の準備にとりかかっていた矢先の出来事でした。皆様はどうお感じになられたでしょうか。


 福田首相が辞意表明をして一週間もたたない現在、もう各種メディアは、自民党の総裁選の話題でもちきりです。そして、9月22日に総裁選のお祭り騒ぎが一段落すれば、つづく9月下旬に開かれる臨時国会での衆議院解散。10月の中旬から下旬には総選挙が行われるだろうという噂が、ここ永田町界隈では、囁かれています。

 福田総理は、辞任表明の記者会見の中で、「これまで誰も手を付けなかった国民目線での改革に着手した」と、自らの業績を自慢しています(しかし、道路特定財源の一般財源化をはじめとして、まだ一つも法改正などされていません)。その一方で、自分が結果を出せなかったことの責任を、民主党に転嫁しようとしていました。

 しかしながら、客観的に見ても辞任する理由が「政策を進めるために新しい体制を整えるべきだから」というのでは、全く説明になっていません。今回のような形で一国の総理大臣がいきなり職場放棄をし、世界に大恥をさらして国益を害するようなことをするのは、おそらく表に出せない本当の理由が他にあるからなのでしょう。


 まず、考えられるのは、自民党の総裁選挙に世の中の注目を集めることです。総選挙を前に、総裁選をなるべく盛り上げ、新総裁の打ち出す政策だの人柄だのを大々的に宣伝してしまおうという思惑があるのでしょう。そして、なによりも、総裁交代によって、これまでの自公政権の失政を覆い隠すという効果が大きいと思います。

 本来、来るべき総選挙の主題は「これまでの自公政権を評価しますか?」のはずです。しかし、年金問題や後期高齢者医療制度で失点を重ねてきた自民党は、そんなものを争点にはできません。そこで、総裁を代え、皆の意識をそちらに向けることで、失政が争点にならないようにするいわば「切り離し効果」を狙ったのでしょう。

 福田首相は、辞意表明の記者会見で、自分は、安倍前首相の辞任ケースと違い(病気を口実にして逃げるのではなく)自ら考えがあって辞任するのだということをことさらに強調していました。これは、決して口に出して言えない「戦略」のために、あえて不様な役柄を演じざるを得ない首相の、せめてもの矜持なのだと思います。


 自民党と民主党は、政治理念や具体的政策は違っても、ともに国益のため、互いに競い合う良きライバルでした。党益のためなりふりかまわず国益を犠牲にする今の自民党を見るのは、本当に悲しいものがあります。とともに、今回の一件は、これ以上自民党が政権の座に留まると日本はダメになると確信させるものがありました。

2008/04/26 17:40

反対!反対?(メールマガジンより転載)

 皆さんからしばしば頂くご批判の中に「民主党は、なんでも反対ばかりしてけしからん」というものがあります。テレビなどでは、民主党が反対している場面が報道されることが多く見られますし、コメンテーターや評論家の方とか、与党の政治家の方も、民主党が反対していることをことさらに強調する傾向があるのは事実です。


 しかし、現実はまったく違います。民主党が政府の出してきた議案に反対することは、実は少ないのです。たとえば、今年の4月以降に衆議院を通過した30件あまりの議案中、民主党が反対に回ったのはたった1件、米軍に対する思いやり予算を含んだ協定案だけでした。「ねじれ国会」といっても、協調的に進んでいるのです。

 以上のようなことを説明すると、大部分の方は、「へぇー、そうだったんだ」と意外そうな顔をしつつ、納得されます。ただ、ごく一部の方は、「でも、テレビでは民主党は反対ばっかりしてると言っていたよ」とおっしゃります。いろいろな意味で悲しい気持ちにさせられますが、こういう方はなかなか度し難いものがあります。

 もう少し上級の反論としては「たしかに、民主党が反対ばかりしているわけではないのは知っている。でも郵政民営化とか、ガソリン税とか、日銀総裁人事とか肝心な問題でいつも反対しているではないか」というものがあります。もちろんこれも正しい理解ではありません。そもそも、なぜ世の中に誤解が蔓延するのでしょうか。


 民主党がいつも反対ばかりしているように映ってしまう理由は簡単です。民主党が反対すれば,「民主党が反対して、国会でもめています」というニュースになり、賛成した場合には、単に、「○×法案が国会で成立しました」と報道されるからです。決して、「たいへんです。民主党が賛成しました」なんて報道にはなりません。

 このようにしてみてくると、肝心な場面で民主党が反対しているように見える理由もおわかりでしょう。与野党の意見が対立しているその点がまさに政治の世界での最重要課題と呼ばれるのです。ですから肝心のその点について民主党が政府与党に反対しているのは、論理的に必然なのです。原因と結果を取り違えてはいけません。

 もちろん、マスコミの方が民主党が反対する場面を中心に報道するのは当然のことですし、それを見た方々が誤解に陥るのはしかたのない面もあります。ただ、国会に出席し事情を知っている与党政治家までもが、「民主党は反対ばかりしている」という真っ赤なウソをテレビなどで垂れ流すのは、見るに忍びないものがあります。


 納得できないことに対しきちんと反対の意思表示をするのは、たしかに国会議員としてとても大切なことだと思います(野党が政府に対してノーと言わなくなったら民主主義はおしまいです)。ただ、話題になる1つのノーの陰には報道されない無数のイエスがあることを知って頂きたいと思い、今回のメルマガを書いた次第です。

2008/03/14 19:52

日銀総裁人事

 昨日の衆議院本会議で、日本銀行総裁などの人事案件の採決が行われましたが、それに先立ち各党が賛否の討論を行いました。同意人事案をめぐってはなんと60年ぶりの討論です。我が国の議会制が大きく前進した歴史的な場面に立ち会うことができました(結局、国会全体としては総裁人事に不同意ということになりました)。


 さて、日本銀行は、言うまでもなく我が国の中央銀行であります。その機能は、日本銀行券(お札)の発行だけでなく、金融政策の実施、金融システムの安定の維持、物価の安定など多岐にわたります。日銀は、その性質上政府からの独立性と国民に対する透明性を維持しながら適切に政策を決定することが求められているのです。

 今問題となっている日銀総裁は日本銀行のトップですが、その任命には国会の同意が必要です。政府が総裁を誰にするかを勝手に決めてしまうと、どうしても政府に好都合な人が選ばれ、独立性・透明性が阻害されるおそれがあります。そこで、国会の同意を要求することにより、民主的なチェックを働かせるということなのです。

 今回、私たちが総裁の人事に反対した理由は、総裁候補の武藤氏が、金融の素人であるだけでなく、財務省そのものの人物であるため日銀の独立性が担保できないからです。これに対して政府与党側は、「民主党の党利党略だ」とか、「日本経済が大打撃を受ける」とか、「反対するなら対案を出せ」などと批判しているようです。


 しかし、「党利党略」というのは、全くのいいがかりです。民主党は、ここにきて急に武藤氏への反対を決めたわけではなく、すでに5年前、武藤氏が副総裁に就任するにあたっても、反対しているのです。要するにブレることなく、一貫した立場をとっているわけで、今ここでいきなり賛成にまわるほうが不自然というものです。

 これまで長い間、日銀総裁の椅子は、財務省の天下り先となってきました。天下りには、官庁による天下り先の監視・規制がつきものであり、今回も認めてしまえば、日銀に対する財務省の干渉は強くなっていくはずです。独立性が特に高く求められる日銀だからこそ、財務省からの天下りを厳重に排除しなければならないのです。

 そもそも同意人事は、国会の同意を得られる人を探してくる義務を政府が負う仕組みです。武藤氏では国会が同意しないことが容易に予想できた以上、政府は別の人を見つけてくるべきでした(任命権の無い国会に人事案を示せなどスジ違い)。政府は、総裁人事案を再提出するようですが、今度こそは良識に期待したいものです。


 60年ぶりの国会討論でもわかるように、人事案件に関する国会の議論は確実に活性化・透明化してきています。多少の混乱はありますが、これも人事案件が民主化する過程の一つだと思っています。なにはともあれ、5年間クビを切れない人事です。意味もなく焦って、のちのち後悔することのないようにしなければと思います。

2008/03/04 16:23

緊急停車(メールマガジンより転載)

 あなたが大事な取引先に向かっているとします。あなたの乗った特急電車は、順調に動いており、このままならば定刻に先方の最寄り駅に着きそうでした。ところが、ついうっかりして、目的の駅に着いていたことに気づかず、電車は発車してしまいました。特急なので次の停車駅は、50キロ先です。あなたならどうしますか。


 今年1月、現実の世界で、同じように電車を乗り過ごした人がいました。この人は、検察官でした。長野県松本での裁判ため特急に乗ったが、松本駅で乗り過ごしてしまいました。この検察官、何を思ったか、乗務員に頼み込んで、特急を停め、そこで降りてタクシーに乗って、裁判所に向かいました。結局、裁判には間に合ったようです。

 日本の電車の運行は、世界一正確だといわれています。当然、お客さんの勝手な都合で、本来通過するはずの駅に停車してあげるなんてしません。一人一人のわがままに付き合っていたら、皆が電車を緊急停車しろと言い出して収拾がつかなくなります(件の検察官も本来なら次の停車駅で降りて引き返さなければならないところでした)。

 もっとも、本当に緊急の場合には、当たり前のことですが、緊急停車は認められます。たとえば、急病人が出たなど、人の生命・身体に影響が及ぶような場合がそうです。病人の場合以外ですと、受験シーズンに不慣れな受験生が電車を間違ったり、乗過ごして電車が緊急停車したニュースを耳にした方も多いのではないでしょうか。


 どのような緊急停車を認めるべきかについては、具体的な基準はないようですが、世間的には受験生のケースでは同情的なようです。将来がかかっているので、子供には大目に見てあげているということでしょう。その一方で、昔、参議院議員が新幹線を乗り過ごし通過駅に緊急停車させた時には、世の中の非難が集中しました。

 今回の検察官の件はどうでしょうか。まず、裁判に遅れると、裁判官や被告人を待たせることになります。また、審理時間が短くなってしまいます。もっと遅れると、別の期日を取らなければならないという問題もあります(被告人が身柄を拘束されている期間もその分長くなる)。このように、検察官の遅刻は社会には迷惑なものです。

 しかし、だからといって電車を停めてもよいのでしょうか。良い大人なのだから時間管理は自己責任ですし、緊急停車すれば、今度は他のお客さんが迷惑します(それが原因で重要な案件に遅れるかもしれない)。民間人であれば、「大事な取引先との予定に遅刻しそうだから特急を止めてくれ」などというのは通用しないと思います。


 先日、鳩山法務大臣は、「裁判で有罪にならないかぎり冤罪じゃないというのが検察の考えだ」という趣旨の爆弾発言をしました。考えたくもありませんが、こんな非常識な世界で仕事をしていると、「自分は大事な仕事をしているのだから電車ぐらい止めるのは当り前」なんて思ってしまうのかもしれません。皆様、どう思いますか。

2008/02/22 15:38

冤罪

 本来、私は、政治家の発言について重箱の隅をつつくようなことをするのは好きではありません。しかし、今回は書きます。


 鳩山法務大臣は、全国の高検・地検のトップを集め、そこで「志布志事件」の無罪判決に言及して、「冤罪と呼ぶべきでないと思う」と訓示しました。さらに後日、自民党の会合で、自らの発言につき「検察が日ごろ言っていることをしゃべっただけだ」と、「釈明」したのです。

 志布志事件とは、2003年の鹿児島県議選で、ある候補者の陣営が、住民11名に焼酎や現金191万円を配ったとして、候補者やその家族、現金を受け取ったとされた住民らが公職選挙法違反容疑で逮捕された事件です。そこでは警察が、ウソの自白を強要し、虚偽の事実をデッチ上げ、「踏み字」と呼ばれる違法な取り調べを行い、ぬれぎぬを着せられた人々を数ヶ月から1年以上も勾留しました。十分な証拠に基づかずに捜査がなされ、存在しない事件が捏造され、無関係の人が犯人扱いされた、典型的な冤罪事件といえるでしょう。


 ところが、鳩山法務大臣は、独自の見解に立ち、裁判で有罪が確定したのちに無実であることが発覚した場合のみを「冤罪」と呼ぶべきであると考えるようです。現代の裁判のタテマエでは、有罪判決を受けるまでは無罪の推定が働くので、最終的に裁判で有罪にならなかった場合には、それまでにどんな捜査をしていても冤罪ではないと勘違いしているのかもしれません。

 しかし実際のところは、逮捕に至れば、人権を制限された状態で取調べを受け、起訴されれば起訴されたで、拘禁状態が続く場合が多いのです。結果的に無罪判決が出たとしても、ぬれぎぬを着せられた方々の人生が滅茶苦茶になることに変わりありません。そして、今回の鳩山大臣発言は、「冤罪ではなかった」だから「検察は積極的に活動しろ」という文脈で語られているのです。単なる言葉の定義の問題で片付けられないものがあります。


 今回の発言を受け、次の二つのことがなされなければなりません。第一に、検察官の集まりをもう一度開き、前回の会同に参加した検察官全てに、発言が誤りであったこと、そして訓示内容を撤回した旨を伝えることです。大臣の暴言は、検察のトップに対する訓示の中で飛び出したのですから、「志布志事件は冤罪と呼ぶような深刻な問題ではないのだから、もっと積極的に捜査活動をしろ」という誤った命令を発したようなものです。正式な形でこれを撤回させることが最低限必要です。

 第二は、検察において志布志事件の教訓が活かされているのかどうか、事実関係を徹底的に調査することです。本当に「志布志事件は冤罪でない」と検察が常日ごろ言っているのであれば、それ自体大変な問題です。直ちに、誤った認識・体質を改めてもらわなければなりません。また、不見識な発言を耳にして法務大臣が、直ちにそれをたしなめるのではなく、かえって無責任に訓示として垂れ流したのであるとすれば、それは辞任に値することだと思います。


 「無実の人を逮捕拘留しても良心の呵責すらない」、そんな検察官が鳩山法務大臣の下で増殖することのないよう、国会で徹底的に追及していきたいと思います。

2008/02/08 19:35

道直し(メールマガジンより転載)

 「栄村」という村をご存知ですか。長野県の最北端にある(野沢温泉村の隣に位置し、新潟県と境を接しています)人口約2,500人の小さな村で、私の地元の武蔵村山市の姉妹都市でもあります。


 この栄村、日本有数の豪雪地帯にありますから、冬の間の重要課題は、除雪をはじめとする雪対策です。介護、プロパンガス・灯油の供給、汲み取りなどのため、自動車が通れる状態を確保しなければ、村民の生活に支障をきたすのです。除雪作業には除雪車が必要ですが、集落の中には道路の幅員が足りず除雪車を入れられないところもありました。そこで、道路を拡げる「道直し」が必要になりました。

 しかし、道路財源を使い国の補助事業として整備しようとすると、全国一律の規格が押し付けられます(幅員6~7メートル以上とか、カーブをきつくしてはいけないとか)。幅員を確保するためには沿道の土地をたくさん買収しなければなりませんが、そんな予算はどこにもありません。そこで、除雪車が通れる必要最小限の道路を通すという方針を立て、安くあげるさまざまな工夫をして(幅員を4メートル以下で我慢する、あるいは、用地買収が難しいところでは多少ジグザグの道でも可とするなど)、村独自で道直しをすることにしたのです。

 その効果は絶大で、通常1メートル10数万円かかる道路が、2~3万円、通常の5分の1程度の費用でできました。もちろん、除雪車が通っても全く問題のないしっかりとした道です。こうして、安い費用で住民ニーズを反映した道路整備が可能になりました。本当に必要な道路を地域の力だけで作った極めてまれなケースといえます。


 ひるがえって、他の地域の状況を見るとどうでしょう。高速道路なみの幅員のガラガラに空いた道路がありながら、それと並行する高速道路の建設を計画してみたり、森林を切り開き生態系を破壊するような道路を通してみたり、卓球のラケットやマッサージチェアの購入にガソリン税が浪費されてみたりといったことが続いています。本当に必要な道路が整備されないというのが実情であり、栄村のような成功例は殆どないのです。

 諸悪の根源は、道路特定財源の硬直性にあります。用途が道路の建設に限定され、補助金として使おうとすると地域ニーズに合った形で行うことが難しいのです。政府与党は、「ガソリン税を値下げをすると、財源がなくなって、都市部の本当に必要な道路の整備ができなくなる」と脅しをかけています。でも、今まで通りの特定財源・暫定税率を維持したところで、本当に必要な道路の整備、電柱地中化、開かずの踏み切り対策が後回しにされている現状は変わりません。

 今やらなければいけないのは、道路財源を一般財源化した上で、使いみちを限定しない交付税として地方自治体に渡すことです。そうすれば、各自治体が地元のニーズを正確に把握した上で、福祉や教育など他の重要課題と天秤にかけ、本当に必要な道路だけを作れるようになります。そして、仮に、道路をつくることに決まった場合でも、地域の実情に合ったものをつくることが可能になるのです。


 先日、民主党の有志で栄村長を国会にお招きして勉強会を開きました。80歳近いご高齢ながら、「道直し」について熱心に語る高橋彦芳村長を見ながら、ガソリン税の一般財源化・地方自主財源化の正しさを確信しました。

2008/01/25 19:41

ガソリン国会(メールマガジンより転載)

 先週通常国会が始まり、今週から代表質問などで論戦が活発化しています。今国会は、「ガソリン国会」とも言われているとおり、ガソリン税をはじめとした「道路特定財源」が最大の争点になっています。


 現在、ガソリンには、1リットルあたり48.6円の「揮発油税」がかけられています。この税率、本来は半分であったものが、第一次オイルショックの時に「暫定的に」2倍にされ、そのままの状態が34年も続いています。そして、いわゆる道路特定財源として道路建設に使われてきました。自民党・公明党の皆さんは、この仕組みを、さらに10年間維持すると決めたわけです。

 私たち民主党は、道路特定財源を、道路建設に限らず、教育や福祉や環境対策などに使えるようにする一般財源化を主張しています(その背景には、道路特別会計が、利権の温床であり、税金のムダ使いの元凶になっているという認識があります)。もちろん、一般財源化にともない特定財源を前提とした暫定税率部分も廃止することになりますから、結果としてガソリンもリッター約25円値下がりすることになります。

 これに対して、特定財源・暫定税率維持派の政府与党は、いろいろな反論を試みています。たとえば、「ガソリン税を一般財源化してしまったら、必要な道路が作れなくなってしまう」とか、「ガソリン税を値下げしたら、皆が贅沢にガソリンを消費するようになってしまうので、CO2の発生が増大する」などと主張しています。そして、「暫定税率を廃止すると2兆6千億円の穴が空いてしまうが、その部分の財源の手当てをしないのは無責任だ」などと民主党を批判しています。


 しかし、政府が「必要な道路を整備する」などと言いながら、誰も利用しないムダな道路を作りまくってきたことは、皆さんご存知の通りです。今までムダなものをさんざん作っておいて、減税の話が出てきたとたんに、「それじゃあ本当に必要な道路を作るのもやめなければいけませんね」というのは、かなりタチの悪い恫喝ではないでしょうか。

 さらに、道路特定財源は、一部でとんでもない使われ方をしていることが発覚しています(報道では、卓球のラケットを買ったり、職員の宿舎を建てたり、官僚が乗り回す車を買ったりといったことが伝えられています)。しかも毎年数千億円の単位でお金が余っているのです。この状態を放置したままで、「財源、財源」と騒ぎ立て、「お金が足りないから税金を2倍よこせ」などというのは、それこそ無責任なのではないかと思います。

 また、政府はガソリン税がCO2削減に寄与していると主張したいようですが、ガソリンの消費量はガソリン価格が上がっても減らないというのが統計上の現実です(需要の価格弾力性はゼロに近いのです)。それに、そもそも道路建設自体が(森林伐採や生物の棲息環境の破壊など)環境負荷の高い事業です。逆に、一般財源化すれば、お金を環境対策に充てることも可能になるし、代替的な公共交通の整備に振り向けることにより渋滞の解消やCO2の発生の削減につながるというものです。そして何より、本当に必要な道路にだけ税金を使うという当たり前のことが実現できるのです。


 今の国会は、「ねじれ」現象のおかげで、与野党どちらの主張が通るか、全く見えない状態です。私たちの信じるところを皆様にご納得頂けるよう、私も精一杯頑張りたいと思います。